夕暮れの子供(3)
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宮殿の一室で、定例の守護聖と補佐官を集めての報告会が行なわれていた。
補佐官から女王試験についての報告がされる。二人とも順調に宇宙を育てているようで、もうすぐ試験も終わるだろうということだった。
「分かったわ。試験について、他に何か報告は?」
一通りの報告を聞いたあと、私はまわりを見渡しながら尋ねた。
すると一瞬、皆が何か言いたげな顔で顔を見合わせた。何か報告することがあるようだった。
補佐官を務める藍色の髪の親友が、皆を代表するように切り出した。
「感性の教官のことですが……」
あの人の名前が出てきたことに、一瞬驚いて心臓が止まりそうになる。けれどそれを悟られないよう、必死で何でもない振りをした。
私が宮殿を抜け出していることは、私とあの人がこっそり会っていることは、他の誰にも知られてはいけないことだった。
「彼が感性の教官として有能なことは認めます。ですがあの態度は……」
「どんな風なの?」
藍の髪の親友は黙って書類を差し出した。それがあの人と守護聖や女王候補との親密度を表わすデータであることは一目で分かった。その書類に軽く目を通す。
「……皆、親密度、低いわね」
あの人と他の人の親密度は、どれも一様に低かった。データとして、低すぎると言ってもいい。
「守護聖とだけでなく、女王候補達とも親しくなろうとしないんです」
困ったように、補佐官は言った。
言われなくても、それはこのデータを見ただけで分かる。あの人がこの聖地に来て結構な時間が経つというのに。
「よく女王候補達から相談を受けます。学習はちゃんとやってくれるそうなんですが、それ以外、プライベートでは全く親しくもなろうとしてくれないと」
「僕達守護聖とも親しくなろうとしないんですよ。友達になるとかそういうこと以前に、話しかけたってろくに返事もしないし、挨拶だってしないんですよ」
風の守護聖は、彼の態度を思い出して怒っているようだった。
他の守護聖も口にはしないものの、同じようなことを思っているのは、その表情から読み取れた。
私は、あの草原にいるあの人しか知らなかった。同じ聖地にいても、いつもは宮殿の奥に閉じ込められていて、外の様子なんて、普段のあの人のことなんて、知ることもなかった。
もちろん、私の知ってるあの人だって、そんなに優しい訳じゃない。いつも人を拒絶する空気を張り詰めさせて、私なんていないかのように振る舞っている。ただ少しだけ、話をしたり、一緒にいたりするだけ。ただそれだけ。
だけど。
「貴方達には分からないわ。あの人のこと、何ひとつ」
突き放すように、私は言っていた。
私の言葉に、その場にいた全員が驚いたような顔をした。当然だろう。私とあの人を繋げるものは何ひとつないはずなのに、そんなことを言いだすのだから。
草原にいたあの人を思い出す。あの場所にいるあの人、それが私の知っているあの人のすべて。
あの、怖いほどの蒼い瞳。あの人は、ひとりが哀しくないと言った。ひとりじゃない幸せなんて知らないと。
あの人は……。
「……陛下はご存じなんですか、彼のこと」
藍の髪の親友が、いぶかしむように尋ねてきた。
私は膝の上で、両手を握り締めた。
「……知らないわ」
草原へ行っていることを知られたくなくて、嘘をついた訳じゃなかった。
哀しいけれど、それは本当のこと。私はあの人のことを何も知らない。ただ草原で会って、ほんの少し話をしただけ。きっと私とあの人の親密度もデータで表わしたら一体どれほどになるだろう。
「だけど、だけどあの人は……」
「陛下!」
言いかけた私に、光の守護聖の厳しい声が飛んだ。張りと威厳のあるその響きに、高まりかけた感情が一瞬にして押し潰される。はっと我に返ったように、今の状況と自分の立場を思い出す。
「個人的な感情は無用に願います。貴方はこの宇宙の女王なのですから」
その言葉に、私はうつむいた。確かにその通りなのだ。ここにいるかぎり『私』は必要ない。それを押し殺してこそ、女王としての務めが果たせると言ってもいい。
ここに『私』はいない。いる場所なんてない。ここにいるのは、いていいのは『宇宙の女王』だけ。
「……分かりました。ですが今の処支障が出ていないなら、このままで大丈夫でしょう。試験も終盤に差しかかった今になって教官を代えるほうが、影響が出ると思われます。彼はそのまま、感性の教官とします」
女王として、そう告げた。
守護聖達は多少の不満は残るものの、納得したようだった。納得していなかったとしても、それが『女王』の命令なら従わない訳にはいかない。
むしょうに、あの人に会いたかった。
ここに、私の居場所はない。はっきり、そう分かった。
私が魚なら、ここは陸の上。息ができない。
だけどきっとあの人の傍でなら、息ができる。あの人の傍でしか、息ができない。
だから。
(……会いたい……貴方に)
強く、そう思った。
それから、次に宮殿を抜け出す機会ができるまで、どれほど長かっただろう。
それまでだって、そんなに頻繁に草原に行けた訳じゃなかった。今回だって、暇ができるまでの時間はいつもと同じだったろう。
だけど、そのときの私にとって、それは永遠にも近い時間だった。
やっと宮殿を抜け出せたとき、草原までの距離が待ち切れなくて、私は無我夢中で走っていた。
あの人がいるかどうかなんて分からない。来るかどうかなんて分からない。約束をしている訳でもないのだから。今までも、そんなことは何度もあった。
草原に行って、あの人がいなかったら。待っていても、来なかったら。そう考えると胸が潰れそうになった。そうしたら私は、またあの長い時間を待たなくてはいけない。
でも、私とあの人をつなぐものは、あの草原だけだった。だから走らずにはいられなかった。
やがて見えてきた草原の中に、蒼い影が見えた。風に揺れる、あの人の髪。あの人は、そこにいた。
……いた。
……やっと、あの人に会えた。
ただそれだけのことなのに、なぜか泣きたいほどの安堵感に襲われて、私は走るのをやめた。
一歩一歩ゆっくりとあの人に近づいていく。一歩ごとに心臓が高鳴るのが分かる。それは走って息切れしているせいなんかじゃなかった。
あの人が、気配に気付いたのか、振り向いた。
あの人の瞳。あの、蒼い瞳。私は、動くこともできなくなった。
「息が上がってるみたいだけど?」
肩で息をしている私を見て、あの人が尋ねた。
「……走って、来たから……」
「どうして?」
ここに来た理由は、ひとつしかなかった。昔のように、自由を求めてでも、逃げたかったからでもなかった。
「……貴方に、会いたかったの」
会いたかった。本当に、会いたかった。
ここに、『私』はいる。
そしてあの人がいる。
今、やっと息ができる。それが実感として本当に分かる。
吹き抜けた風があの人の髪を揺らして、あの人の表情を隠した。
ただ言葉だけが、私に届いた。
「……奇遇だね。僕も君に会いたかったんだ」
あの日、そこにいたのは小さな子供。
行く場所も帰る場所も持たずに、ただそこにいた。
永遠のある場所さえ知らず、ただそこにいた。
To be continued.
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