雨 Side C


「それじゃ、俺はちょっと出かけてくるから、いーこでまってろよ、コナン?」

 白いスーツ、白いマント、モノクルにシルクハットの姿で、そのひとはコナンに言った。
 月夜にその姿は、猫目でなくてもよく映える。

「お土産買ってくるからな」

 快斗はいたずらのようにコナンの鼻先にちゅっとキスをすると、窓からふわりと飛び出していった。

 快斗が、夜、あんな格好で何処かに出かけていくことは、たびたびあった。
 何処に行くのか、何をしにいくのか、コナンは知らない。
 知らなくていいのだ、きっと。そんな気がしていた。
 コナンにとっては、快斗がちゃんと帰ってきて、また、一緒にいてくれるなら、それでいいのだ。

 いつも出かけると、快斗は夜遅くか、次の朝に帰ってくる。
 コナンはその日もおとなしく帰りを待っていた。

 けれど、快斗は帰ってこなかった。

 次の朝になって、また夜が来て、もう一度朝が来ても。

(快斗…………?)

 コナンの中に不安がつのる。
 快斗は何処へ行ってしまったのだろう。どうして帰ってこないのだろう。

(何処にいるの、快斗……)

 それから何度朝と夜を繰り返し待っても、快斗は帰ってこなかった。
 コナンの不安と心配は、もう限界に来た。

(快斗……!!)

 コナンは快斗を探して部屋を飛び出した。

 快斗が何処にいるかなんて、知らなかった。検討もつかない。
 それでも、思わず部屋を飛び出していた。
 心配と不安で、そのまま部屋にいることが、どうしてもできなかったのだ。

 訳もわからず快斗を探して走って、ふと気づくと、…………自分が何処にいるのかさえ、分からなくなっていた。
 帰り道も分からない。

 今まで、快斗と一緒に出かけたことはあっても、ひとりで外に出たことなんてなかった。第一、快斗と一緒に出かけたのだって数えるほどだ。
 どうすればいいのか、どうやったら帰れるのか、それさえ分からなかった。

(どうしよう…………)

 探すひとは見つからなくて。
 帰り道も分からなくなって。
 ひとりぼっちで。
 夕方になってくると、どんよりと重かった空から、雨まで降り出した。
 コナンにできることは、柱の影に身をひそめて、心の中で快斗の名前を呼ぶだけだった。

(快斗…………)

 雨は冷たく、コナンを打ち付ける。
 不安と寂しさだけがつのってゆく。

(快斗……快斗何処……?)

 ふと、急に自分を打っていた雨が消えた。
 その気配に顔を上げると、見知らぬ男が目の前に立っていた。自分に傘を差しかけながら。

「なんやお前…………捨て猫か?」

 その言葉にどきりとする。
『捨て猫』。
 もしかしたら、そうなのだろうか。
 自分は捨てられて、だから快斗は帰ってこなかったのだろうか。

(そんなことない。快斗はそんなことしない)

 必死に不安を打ち消そうとするんだけれど。
 けれど、不安が募ってしまう。
 ここで泣いたらその言葉を認めてしまうようで、必死に泣くのをこらえる。

「行くとこないんやったら、うち来るか?」

 コナンに向かって、手が、差し伸べられる。

『いいかーコナン、知らない奴になんて、ついてくなよ。お前かわいーんだからな。さらわれちまうぞ』

 快斗の言葉が心をよぎった。
 けれど、顔をあげて手を差し出す男の顔を見ると、とても心配そうに、そして、とても優しげにコナンを見つめていた。

(……………………)

 あまりの寂しさに誰でもいいからすがってしまいたいという気持ちと、その優しげな瞳に引き寄せられるように、コナンはおそるおそる、自分の手を伸ばされた手に重ねた。

 あたたかくて、大きな手。
 この冷たい雨の中で、その手だけが確かなひとつのぬくもり。

「びしょびしょやな」

 そう言うと、男はコナンを引き寄せて、濡れた髪をタオルでくるんだ。
 大きな手が、自分の髪を拭いてくれる。
 快斗とは違う、でも、快斗と同じように優しくてあったかい手。

「ふ……ふえっ…………」

 快斗の前でも、泣くことなんて滅多にないのに、コナンはこらえきれず泣いていた。
 手のあたたかさに、今までこらえていた寂しさが、堰を切ったようにあふれてとまらなかった。

 目の前の男は、一瞬驚いたような顔をして、それから、ふわりと優しく微笑んで、コナンを抱きしめた。

「ええこや、もう大丈夫やからな」

 そっとそっと濡れた髪を撫でる手に、コナンはその背中にしがみついた。



 出逢いは雨の日。
 それを運命と呼ぶのか、偶然と呼ぶのか、そんなことは、知らない。


 END

Side H