いまはもういないあなたへ
2 / Ran Mouri


 毛利探偵事務所、というのは、案外簡単に見つかった。事務所自体はこじんまりしたビルの2階にありそんなに目立つというわけでもないのだが、結構有名らしく、途中で通りすがりの人に道を尋ねたら、詳しく教えてくれ、すぐにたどりつくことが出来た。
 今日、一保が訪ねるということは、電話で前もって連絡していた。
 電話したとき、探偵事務所の主、毛利小五郎が対応に出た。電話で「工藤新一の関係者で、工藤新一について話を聞きたい」というと、驚くような声があがった。
『関係者って、いったいどんな関係だっていうんだ! おまえ、何者だ!?』
 まるで、犯人を取り調べる刑事のような追求だった。
 小五郎としては、新一が死んでかなり経った今になって、突然新一によく似た声で、工藤新一について知りたいなどと電話があったため、まるで幽霊が電話でもかけてきたような気がしてしまってのことだったが、一保にはそんな事情は分からなかった。
 一保が、自分は工藤新一の息子である、と告げると、また驚きの声があがったあと、まさか、嘘じゃないのか、というような追求が続いた。
 とりあえず、電話で押し問答していても埒があかないので、後日、事務所を訪ねる約束をとりつけたのだった。
 こじんまりとしたビルの、二階へ続く階段をあがって、『毛利探偵事務所』と書かれたドアを、ノックする。
「すみません。……このあいだ電話した」
「新一……!?」
 一保がドアをあけた途端、中から驚きの声があがった。見ると、母親くらいの年齢の女性が驚いたように目を見開いていた。
「あの、電話した、宮野一保ですけど」
 一保はとりあえず名乗る。
 女性は大きく何度か目をしばたかせたあと、一保の顔をもういちどよく見て、それからおおきく息をつき、すこし微笑んだ。
「ああ……ごめんなさい、驚いちゃって。新一に本当にそっくりだったから。新一が帰ってきたのかと思っちゃった」
 自分の父親を、新一、と親しげに呼ぶその女性を、一保は見つめる。名前で呼ぶくらい、彼女は父親と親しかったのだろうか。
 実の所、一保は、ここへは母が言っていた『工藤新一をよく知る彼ら』の居所を尋くために訪れたのであって、ここ自体が、工藤新一と深い関わりのある場所だとは思っていなかった。けれど、電話の様子からしても、今の彼女の様子からしても、ここは、工藤新一と何らかのつながりがある場所のようだった。
(このひとも、なにか、『工藤新一』について知っているんだろうか)
 年齢的には、母親と同じくらいだから、生きていたときの工藤新一と同い年くらいだろう。そう考えれば、何か接点があってもおかしくはなかった。
 事務所の中に入って、ソファを勧められる。事務所には、彼女一人きりで、主であるはずの毛利小五郎はいなかった。
 一保の前にお茶を出したあと、彼女も一保の向かい側に座る。
「さっきはごめんなさいね。私は、毛利蘭、というの。……旧姓はね。今は結婚して、名字、違うんだけど」
 名字が毛利、というのだから、彼女はこの探偵事務所の関係者だろうと容易に推測できた。おそらくは、毛利小五郎の娘だろうかと一保は推測する。
「カズホくんは、新一の…………?」
 すこしためらいがちに、蘭が尋ねた。
 電話でもそれは名乗っているのだから、これは確認なのだと思う。
「……息子、です」
 それは、自分でも、あまり実感のわかないことだった。
 自分自身でもそうではないかと思っていたし、工藤新一が自分の父親であると母親も認めたけれど、それはまだ、仮定の話のように、実感がわかなかった。
 一保にとって『工藤新一』は、まだおとぎばなしの登場人物のように、現実感のない存在だった。
「そう……」
 ためいきのように、言葉がもれた。
 寂しそうに伏せられたその瞳から、この蘭という女性が工藤新一をどう思っていたのか計り知れた。
「あなたのお母さんの名前を聞いてもいいかしら?」
「宮野志保、です」
 彼女はその名前に聞き覚えがないようだった。ミヤノシホとちいさく繰り返して、記憶を探っているようだが、思い当たる人物は彼女の面識にないようだった。
「あの、毛利さんは、父とは、知り合いだったんですか?」
 一保は蘭に訪ねた。
 彼女は工藤新一のことを、少なからず知っているようだった。彼女からも話が聞けるのなら、聞きたかった。すこしでも多く、メディアを通してでなく、工藤新一のことを知りたかった。そうすれば、もうすこし、彼を現実感を持って身近に感じられるのではないかと思って。
 その質問に、蘭は、ふと笑った。
「私と新一は幼なじみだったの。高校までずっと一緒で」
 その答に、一保は驚く。彼女は『工藤新一』と関係ないどころか、かなり知っているということになる。
 何故母が、ここでも工藤新一の話を聞けると教えてくれなかったのか、不思議だった。
「どんな、ひとでした?」
「そうね。勉強出来て、スポーツもできて、優しくて、かっこよくて、探偵としても当時から有名で……」
 遠い目をして、蘭は昔のことを思い出しているようだった。
 ずいぶん高いその評価は、彼女がどんなふうに工藤新一のことを想っていたのかうかがわせる。
 けれど、そこでふっと言葉を途切れさせると、蘭はすこし哀しげに、一保を見つめた。
「でもきっと、私、あなたに新一のこと語れるほど、新一のこと、知らなかったんだと思うわ」
 蘭の言葉に、一保は首を傾げる。幼なじみで、高校まで一緒だったというのなら、深い知り合いと言ってもいいはずだ。工藤新一が死んだのは、まだ十代のうちだったはずだから、彼の生きている時間のほとんどを知っているとも言える。仲が悪く、交流がなかったという雰囲気でもない。それなのに、何故、そんなことを言うのか。
 一保のそんな視線に気づいて、蘭は苦笑する。
「私は新一と幼なじみで、小さいころから知っていたから、一緒にいた時間が長かったから、新一のことなんでも分かっているような気になってた。本当は、何も知らなかったのに。私が見ていたのは……新一が、私や周りの人に見せていたのは、彼が造った『名探偵工藤新一』という姿だった」
 じっと、まっすぐに見つめる一保を見ているのがつらくなって、蘭は少し視線をはずした。一保は本当に新一に似ていて、だからそれがつらかった。
「本当は、弱かったり、寂しがりだったり、ずるかったり、卑怯だったり。そういう部分全部隠して、綺麗な表面だけを見せてた。私も、そんな表面ばっかり見ていた」
 逆に言えば、蘭も、そういう新一だけを求めていた。彼を理想化して、自分の王子様かなにかと勘違いしていたのだ。それが、新一を苦しめているとも気づかずに。
「でも、たとえば服部君や、黒羽君なんかは……ちゃんと、そういう新一の内側も見抜いて、新一も彼らにはそういうところちゃんとさらして、それでも受け入れて、支えあって、………………」
 膝の上に置いた手が、かすかに震える。涙があふれそうにあって、それでも必死にこらえる。
「私は、新一のこと、なんにも知らなかった」
 そう、なにも、知らなかった。そして、そのままいけば、本当の新一を知らないということにさえ気づかないままだったろう。
 それを知ることが出来たのは、偶然、服部平次や黒羽快斗といるときの新一を垣間見たからだった。
 彼らと一緒にいるときの新一は、見たこともないような綺麗な顔で笑っていた。拗ねたりわがままを言ったり甘えたりもしていた。誰とでも当たり障りなくひとあたりのいい新一が、彼らとは本気で喧嘩をしたりしていた。
 それを見たときに、やっと蘭は知ったのだ。
 自分が見ていたのは、本当の工藤新一ではなかったと。
 あれだけ長く傍にいたのに、新一も蘭に本当の姿など見せなかったし、蘭も新一の本当の姿を見つけることが出来ずにいたのだ。いや……本当の彼を、見ようとしていなかったのだ。だから彼もそれを敏感に感じとり、蘭に本当の姿をさらすことはなかった。
 あれだけ近くにいたつもりだったのに、マスメディアを通してのみ彼を知る人達と、自分と、一体どれほどの差があったのだろう。
「そのくせ、幼なじみってことを、免罪符のように振りかざしてた。いつもいつも。……笑っちゃうわね」
 今思い返せば、あのころの自分の姿は滑稽なほどだ。彼が造った『高校生探偵工藤新一』という姿に憧れを寄せ、彼も自分を想っていてくれるのではないかなどと、浮かれていたのだから。あのころ、かっこいい男の子を見ては黄色い悲鳴を挙げて騒いでいた親友を、困ったものだとなかば呆れながら眺めていたが、彼女と自分と、何処が違ったのだろう。
「…………蘭さん」
 一保はなんと答えればいいのか分からずに、困ってしまう。
「あ、……ごめんなさいね。なんか、感傷的になっちゃって」
 蘭は必死になって、いつもの笑顔を取り戻した。
 一保は、母が、ここでも工藤新一のことが聞けると言わなかった意味を、悟ったような気がした。彼女自身が言うように、彼女は、本当の意味で、工藤新一を知る者ではないのだろう。そしてそれを、母は知っていたのだ。
 それなら、母が言う『工藤新一をよく知る者』というのは、いったいどんな人達なのだろう。
「あの……。母が、ここへくれば、父のことをよく知る人たちの今の居場所も教えてくれるだろうって、言っていたんですけど」
「きっと、服部君や黒羽君のことね」
 蘭は席を立つと、引き出しから何かをとりだした。
「はい、これ」
 住所の書かれた紙を渡される。服部平次、と書かれた紙と、黒羽快斗、と書かれた紙。さっきの話にも出てきた名前だ。
「私なんかより、彼らに聞いたほうが、きっといろんなこと教えてもらえるわ」
 そのとき、ちょうど事務所に依頼人が訪ねてきたのをきっかけに、一保は帰ることにした。依頼人の来訪に、奥から毛利小五郎と思われる中年の男が出てきた。どうやら気を使って、姿を見せなかったらしい。
 それでも出てきたときに一保の姿を見て、ひどく複雑な顔をしていた。かなり昔のこととはいえ、娘とその幼なじみの関係や一保の存在については、いろいろと言いたいこともあるようだった。結局、なにも言葉をかわさなかったけれど。
「あなたに会えて、よかった。よければまた、遊びにきてね」
 蘭に見送られて、事務所を出た一保は、しばらく歩きながら、母から聞いた話と、ついさっき蘭に聞いた話とを思い返していた。
(工藤、新一……)
 見たこともない、自分の父親。彼について、一保はまだ具体的なイメージを掴むことが出来なかった。むしろ、話を聞いて、いっそう彼がどんな人物だったのか、考えにくくなった気もする。
 ずっと一緒だった幼なじみにまで、本当の自分をさらせずにいた、ひと。
 それは、つらくなかったのだろうか。哀しくなかったのだろうか。
 ポケットから、さっき渡された紙片を取り出す。ふたつの、住所と名前が書かれた紙。 彼らなら、『本当の工藤新一』とやらを知っているのだろうか。彼らに会えば、『本当の工藤新一』が分かるのだろうか。
 なんとなく立ち止まって、事務所のほうを振り返った。
 工藤新一もこの道を通ったことがあったのだろうか、と思ったが、その景色に、そこにいる彼の姿をうまく重ねることが出来なかった。


 To be continued.

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