ポロメリア <7>
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コナンの悲鳴を聞きつけた哀と快斗は、書斎を飛び出した。リビングを横切り、2階へ向かう。そのあいだにも、コナンの悲鳴は続いている。
「コナンっ!!」
階段を駆け上がった哀が、コナンの部屋へと走る。
コナンの部屋は扉が開きっぱなしになっており、彼の悲鳴が廊下まで響いていた。おそらくは、リビングにいた優作が先に駆けつけて、扉を閉める余裕などなかったのだろう。
「うわあああああああああ!!」
完全に錯乱した様子で、ベッドの上で、コナンがもがいていた。それを押さえつけるように、優作が必死にコナンの身体をおさえている。有希子はどうすればいいのか分からないように、壁際で涙ぐみながら立ちすくんでいた。
「哀君! 鎮静剤を!!」
部屋に入ってきた哀の姿を認めて、優作が叫んだ。
哀は即座にきびすを返して、鎮静剤を取りに走った。こういうときのために、その手の薬品類も常備されていた。
「新一っ! おい新一!!」
快斗がベッドへ走りよって、優作を助けるように暴れるコナンの身体をおさえた。
けれどコナンは錯乱したまま暴れ続ける。何かから逃げるように。何かに怯えるように。
「うわあああああ!! あ、ああああああああ!!」
その口からほとばしるのは悲鳴だ。まるで、何かを否定するような。
「コナン! 落ちつきなさいっ!」
優作が必死になだめようとするが、まるで効果ない。おそらく優作の声は届いていないのだろう。振り回される腕が、優作の頬をひっかく。
「コナンっ!」
哀がいくつかの薬品と機材を持って戻ってきた。
「哀君、早く鎮静剤を!!」
「はいっ」
哀は手早く、持ってきた薬品を注射器に吸い上げる。落ちついた手慣れた動作だ。
けれど、暴れるコナンに、うまく注射を打てない。どうにか腕だけでも押さえつけようとしても、何処にそんな力があったのかと思うような力で腕を振り払われて、腕を固定させることができないのだ。
「コナン、落ちついて! 大丈夫だから!!」
「コナン!!」
優作と哀が必死に呼びかけるが、コナンには届かない。
「うわあああああああ!! あああああああああ!!」
コナンは叫び、暴れ続ける。
まるで、迫り来るなにかから、逃れようとするかのように。
……そう、逃げているのだ。彼は。
服部平次の、死から。それを、認めることから。
不意に、快斗はベッドに乗り上げた。
暴れるコナンに馬乗りになるように乗り上げて、その体重で身体を押さえつけると、その胸ぐらをつかみあげて──殴りつけた!
「ヒッ」
ちいさく声をあげたのは、部屋のすみでことの成りゆきを、ただ祈るように見つめていた有希子だった。
突然の快斗の行為に驚いて、優作も哀も、一瞬動きを止める。
殴られたショックでか、コナンは暴れるのをやめた。殴られた顔が、だらりと力無くのけぞる。気を失ってはいない。けれど、大きく見開かれたままのその瞳は、焦点が合っていない。
「……新一」
快斗は、掴んでいる胸ぐらを自分のほうへ引き寄せて、無理矢理コナンの顔を自分のほうへ向けさせる。
殴られた頬が、赤くなってかすかに腫れていた。それでもコナンは痛みも感じていないのか、その瞳は快斗を映さない。
「逃げるなよ、新一!! そうやって逃げて、自分のことも服部のことも俺のことも全部忘れて、それでいいのかよ!!」
強くコナンを揺さぶる。そのたびに、壊れた人形のように、コナンの首ががくがくと揺れた。
「新一! 『工藤新一』!! それが、おまえの名前だろう!? おまえだろう!! 服部が認めた……愛したおまえだろう!? おまえも、服部のことが、好きだったんだろう!? それなのに、全部忘れて……なくして……おまえそれでいいのかよ!! 新一!!」
「やめて!! 黒羽君!!」
哀が快斗をとめようと、その腕に飛びついた。どうにかして、コナンからひきはがそうとする。
「やめてよ! 思い出させないで!! コナンはコナンよ!! それでいいのよ!!」
「何処がだよ! おまえがそんなこと言ってるから、こいつが……!!」
「しっ!」
言い争う快斗と哀を、優作が鋭い声で制した。そのひとこえに、ふたりとも動きをとめられてしまう。
優作を見ると、その目はコナンを凝視していた。快斗と哀も、優作の視線の先を追って、コナンを見つめた。
快斗に胸ぐらをつかまれたまま、だらりとのけぞる頭。その瞳は、焦点の合わないまま中空を見つめている。その瞳から、涙があふれだしていた。とどまることを知らないように、次から次へとあふれてゆくそれは、重力にしたがって流れ落ちて、ぽたぽたとシーツにこぼれていくつものシミを作っていた。
「コナン……」
「新一……」
コナンの長いまつげがかすかに震えて、くちびるが、かすかに動いた。ゆっくりと。
声にはならずに。音にはならずに。
けれど、くちびるの形ははっきりと。
(……ハ……ッ……ト……リ……)
たしかに、その名前を。
彼の、名前を。
『工藤』
耳の奥に、残る声。
やさしい……愛しい、自分を呼ぶ、声。
痛い。痛い。痛い。
霞がかるような頭も。殴られた頬も。押さえつけられた身体も。
締め付けられるような、胸も。
すべてが。
『……工藤……』
眠りに落ちるように再び意識が薄れてゆく。
コナンはそっと目を閉じた。
「おいっ新一!」
「コナンっ!」
再び瞳を閉ざしたコナンに驚いて、快斗と哀はあわててその身体を揺する。
それを優作はそっと手で制した。
「……眠っただけのようだ。心配はいらない」
言われて、コナンを見れば、確かに呼吸も穏かで、眠っているだけのようだ。
ただ、閉ざされたその瞳から、涙がとまることはない。意識を失いながら、それでもコナンは泣いていた。
快斗は掴んでいた胸元から手を放して、コナンの身体をそっとベッドに横たえてやる。乗り上がっていた身体からも降り、ベッドの横に立つ。暴れていたせいでベッドから落ちていたかけ布団を拾って、その身体にかけてやる。
優作は哀から薬品と注射器を受け取って、それをコナンに打った。
「……すまなかったね、黒羽君。驚いただろう? でももう大丈夫だよ」
「いえ。……俺のほうこそ、すみません。カッとして……」
思わず、コナンを殴ってしまった。
すべてから逃げ続ける彼が、許せなくて。
コナンの頬はかすかに腫れていた。冷やしておかなければ、明日にはもっとひどくなっているかもしれない。勢いとはいえ、ひどいことをしてしまった。
「いや、君がいてくれて、助かったよ。黒羽君」
「優作さん! どうしてそんなこと、このひとに言うんですか! このひとのせいで、このひとが来なければ……!!」
快斗に友好的な優作に、哀は声を荒げた。
快斗をここへ引き留めたことといい、今のことといい、何故優作がそんなにも快斗にやさしいのか分からない。もともと今回のことだって、快斗が来なければ、思い出させようなどとしなければ、起こらなかったのだ。それなのに。
「哀君」
哀をいさめるように、すこし厳しい声で優作は哀を呼んだ。
「……私は、今回のことを、黒羽君のせいだとは思わないよ。きっかけにはなったかもしれないけどね。……むしろ、ちょうどいい機会なのではないかと、思っているよ」
「優作さん!?」
「あれから……新一が『コナン』になってから、もう10年だ。自己暗示だって、10年から15年が限界だ。黒羽君が現われなくても、やがてコナンの記憶は破綻しただろう。今回だって、自己暗示が薄れてきているから、こんなに簡単に過去を思いだしかけたのだろうし」
優作は視線を眠っているコナンに向ける。
穏かな寝顔。それでも涙はまだとまらない。一体どんな夢を見ているのか。
「だけどっ……コナンは……!!」
言いかけて、哀は言葉をとめてしまう。言い返す言葉が、見つからなかったのだ。
コナンのため、と言っても、それは嘘だ。ただの口実にしかならない。そんなものは、すぐに優作に見破られるだろう。
純粋にコナンのしあわせを願う気持ちなら、哀よりも優作や有希子のほうが強いだろう。その優作に、一体何を言い返せるのか。
「哀君。もちろん私達だって、無理に思い出させるつもりはないよ。思い出さないで、『コナン』でいるほうが新一がしあわせだというのなら、それでかまわないと思っている。でも、新一が思い出すことを望むのなら……思い出さずにはいられないなら、いちばんいい道を探してあげたいと思う」
優作の言葉に、哀は深くうつむいた。
多分、優作がいちばん正しいのだ。エゴを押しつけようとしてるのは、快斗ではなく、自分なのだ。
「さあ。もうすこし新一を休ませてあげよう。あんまりここで騒いでいて、起こしてしまっても可哀想だからね」
優作は軽く哀と快斗の肩を叩いて、部屋から出ることをうながす。それから、部屋のすみに立ちすくんだままの妻を振り返る。
「有希子?」
「私は……もうすこし新ちゃんについているわ。いいでしょう?」
「わかった。なにかあったら、すぐに呼ぶんだよ」
眠るコナンと、有希子だけを残し、3人は部屋を出た。
また何かあったときにすぐに分かるよう、扉は完全に閉めずに薄く開けておく。
「黒羽君。君は、今夜泊まるところは決まっているのかい?」
「あ、はい。ホテルをとってありますから」
「そうか。よければうちに泊まってもらってもかまわないんだが……」
優作と快斗の会話を背に聞きながら、哀は逃げるように自分の部屋にかけ込んだ。扉を閉め、中から鍵をかける。
今、優作の前にも、快斗の前にもいたくなかった。
哀はしばらく扉に背を預けて立ち尽くしていたが、ふと顔をあげたとき、机の上に並んだ写真立てが目に入った。
引き寄せられるように、それに近寄る。それを見つめる。
いくつもの写真が、そこにはあった。テーマパークに行ったときのもの。入学式のもの。卒業式のもの。誕生日のときのもの。なんでもない日のもの。さまざまだ。6才からすこしずつ成長してゆく自分の軌跡がそこにはあった。
どの写真でも、たいていコナンと一緒だ。6才の姿だったあの日から、今日までの、『コナン』とずっと一緒だった。
写真の中の哀は、どれも笑っている。しあわせそうに。
実際、しあわせだった。『コナン』とともにいられて。『コナン』の心が、自分に向けられていて──。
たとえばコナンが『新一』の記憶を取り戻したとしても、それからも一緒にいることはできるだろう。
(おまえはここにいればいいんだ)
きっと彼は、そう言ってくれるだろう。あのときと同じように。優作も有希子も、そう言ってくれるだろう。
それでも、ふたりの関係は変わってしまう。『コナン』の──『新一』の心は、哀のものではなくなるだろう。『新一』が愛しているのは、服部平次だから。
(コナン……)
写真のひとつを手にとって、哀は胸元に抱きしめた。
強く強く、抱きしめた。
To be continued.
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