ポロメリア <9>
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壊れてカラ回りを続ける映写機のように、同じ場面がコナンの脳裏に繰り返される。
何度も何度も。なんどもなんども。
ただそれだけが繰り返されて、何度も胸をえぐってゆく。
(工藤っ!!)
平次の、叫ぶ声。
弾丸が当たって、皮膚のはじける音。
でもそれは、自分じゃない。
(服部?)
自分を抱きしめたまま倒れる彼に呼びかけても、返事はない。
(服部?)
流れる血。
とまった呼吸。
動かない身体。
(はっとり……)
えぐられ続けた胸は空洞になって、いっそ消えてなくなってしまえばいいのに。
痛みは消えることをしらない。
流れ続ける血は枯れることをしらない。
『工藤』
彼が呼んでくれたから、『自分』でいられた。
この崩れさりそうなあやふやな世界で、生きていけた。
彼が呼んでくれなければ、『自分』ではいられない。
この崩れさりそうな世界で、一緒に消えてしまいそうだ。
流れ落ちる血。
消えてゆく体温。
とまった呼吸。
いっそ、一緒にいけたら、よかったのに。
なのに今の自分は、死に方すら、もうよく分からない。
彼のいないこの世界で、どうやって生きていけばいいのかすら、分からないのに。
『工藤』
おまえが呼んでくれなければ、『工藤新一』は存在できないのに。
……ああ、そうだ。
『工藤新一』は、もういないのだ。
だって、彼がいないこの世界で、『工藤新一』は、存在できないから。
『工藤新一』は、もう、いない。
この世界の、どこにも。
イ ナ イ
……じゃあ、俺は誰?
俺は……。
僕は……。
(……僕は……)
モノクロームの世界が急に色づいたかのように、水の中から急に顔を出したかのように、突然意識は現実へ引き戻された。
たった今夢から覚めたかのよう……いや、たった今生まれ落ちたかのようだ。
わけが分からず、ぼんやりとまわりを見回した。ここが何処かどういう状況か、分からなかった。
見たことのない、綺麗に整えられた部屋で、自分はおおきなベッドの上で、ベッドヘッドにもたれていた。何故自分がここにいるのかも分からない。
「……ちゃん!」
誰かの声が聞こえて、すぐ傍に人がいたことに気付く。綺麗な女の人が、涙ぐむように自分を見つめていた。
それから、誰かがベッドの脇まで駆け寄ってくる。男の人と、幼い女の子。
「……君! 気が付いたの!?」
「……、よかった。大丈夫かい?」
彼らは自分を心配するようにのぞき込んで、髪を撫でたり頬にふれたり手を握ったりしていた。自分を誰かと勘違いしているようだった。誰かの名前を呼んでいるようだが、そこだけが何故かよく聞き取れなかった。
いやそれよりも、自分は何故こんなところにいるのだろう。ここは何処だろう。そしてなにより。
「……誰?」
自分のまわりにいる彼らは、誰なのだろう。
疑問は口をついて、言葉になってこぼれていた。
その途端、まわりにいた彼らに、いっせいに見つめられた。みんな驚いたような顔で、食い入るように見つめてくる。
その視線の強さと居心地の悪さに、さらに戸惑ってしまう。いったい何故、そんな顔で見つめてくるのか。そんな……驚いたような、泣きそうな顔で。
「……君は、君の名前を、覚えているかい?」
3人のうちのひとり、髭をはやし眼鏡をかけた男の人が、やさしく問いかけてくる。
なだめるようなその優しい口調に、すこし緊張感と警戒心をといて、その質問を考えた。
(名前……僕の、名前……)
人を認識し、区別するための、大切なもの。自分に与えられたそれは、なんと言っただろう。いつも呼ばれていたそれは、なんだっただろう。
『…………』
そこだけ雑音が入るように、うまくそれを思い出せない。
自分は誰かに、名を呼ばれていたはずなのに。それが誰かも、呼ばれた名前も、思い出せない。
困って首をめぐらせると、壁にかかった大きな鏡に目がとまった。そこに映る自分の姿を凝視する。小学生低学年くらいの、子供の姿。
(鏡を見ると……あなたは……)
誰かの声を思い出しそうになって、けれどはっきり思い出せない。ビデオテープにノイズが走って映像が途切れるように、思考の一部がショートする。そこの部分を、思い出せない。よく分からない。
鏡がなんだというのだろう。鏡は鏡。ただそこにある真実を映し出すだけ。
真実。そう、真実。
この姿が、真実。だって、『…………』は、もういないのだから。
鏡に映る、ちいさな少年。自分の姿。呼ばれていた、その名前は。
そう。
「僕の名前は……『江戸川コナン』」
服部平次の死にマスコミの熱が落ちつくよりも前に、ついで、『東の名探偵工藤新一』の死亡が伝えられた。
東京湾上で一隻の小型船が原因不明の爆発炎上をし、そのなかに『工藤新一』がいたらしい。爆破状態がひどく海上だったこともあり、遺体の回収はできなかったが、状況や遺留品などから、彼の死亡が確認された。
その死にも裏組織が関わっているらしいとの情報が流れ、マスコミは飛びついた。東西名探偵が死んだというだけでも十分な話題なのに、今まで隠されてきた裏組織が関わっているとなれば、騒がぬわけがなかった。優作のねらいどおりだった。
各マスコミによって、組織の実体や情報が次々とあかされていった。あかされてゆく裏社会の様子に、大衆はますます関心を寄せ、それがさらにマスコミを煽る。
また、これだけマスコミで取り上げられ、世間的に注目されている事件で、警察がなにも成果をあげないわけにはいかない。警察も必死になって本格的な組織壊滅に乗りだした。
いちど大きく動きだした歯車は、組織がどんなに手を回しても、もうとめられない。
組織に対する警察の本格的な調査や取り調べをはじめ、マスコミはその情報力を活かして組織を陽のもとへ引きずり出した。もちろんその裏で、警察やマスコミがより動くように、優作らが手を回したりもしたのだが。
コナンたちだけが細々とやっていたのでは、壊滅までに10年はかかるだろうと思っていた黒の組織は、平次が死んでからわずか3年で、ほぼ壊滅に追い込まれることとなった。
皮肉なことに、平次の死こそが、組織を早期壊滅へ追い込むきっかけになったのだった──。
To be continued.
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