confidence game [4]
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(──詐欺だ……)
望美は勝浦の浜辺で膝を抱えて座って、心の中でその言葉を繰り返していた。
ヒノエは海賊から望美を助けたあと、いったん浜に戻って彼女を船から降ろすとまた沖へ戻っていった。あの海賊達の処分や、他に仲間がいるかを調べなければならないのだろう。熊野周辺の海域を統べる熊野別当として。
(ヒノエ君が、熊野別当だったなんて……)
正体の分からない、謎の多いひととは思っていたが、まだ若く望美と同い年のヒノエが、最強と謳われる熊野水軍の頭領であるとは思いもしなかった。けれどたしかにそう考えればすべての辻褄は合う。ただの水軍の一員にしては妙に貫禄があったり情報に通じていたりしたし、あれだけの着物や装飾品を用意できたのも別当だからと考えれば納得がいく。
ずっと、騙されていたのだ。
いや、騙されたというのは言い過ぎかもしれない。彼は嘘をついていたわけではない。彼が名乗った『水軍の一員』ということ自体は嘘ではないのだから。ただ、それが頭領という立場であると、言わなかっただけで。
そういえば、思い返せば前の運命で面会した眼帯の男も、『自分が別当だ』とは一言も言っていない。たしか、『水軍を預かる者』と言っていた。それをそのままの意味で受け取って、彼が別当だと思い込んでいたが、『別当が不在の間、水軍を預かっている者』という意味にも取れる。
確かに、嘘はついていない。けれど、単純に嘘をつかれるよりもたちが悪い。
ヒノエの立場も、分からなくはないのだ。彼は熊野別当として、熊野を守らなければならない。そう簡単に、戦に手を貸すことはできない。戦局と相手をじっくり見極めるのは当然だ。浜辺を歩いているときに、源氏と平家双方に縁戚を持つ、彼の複雑な立場も耳にした。いくら八葉だからといって、必ずしも望美のために働かなければならないというわけではない。望美だってそんなことは望んでいない。そう考えれば、ヒノエの行動は当然のものだ。
(それは、分かるんだけど……)
望美はちいさく溜め息をついた。
別当がヒノエだというのなら、望美の身体を差し出して代わりに協力を仰ぐという計画は無理だろう。彼はそんなことでは動かないだろうし、そんなことを望美にさせないだろう。見ず知らずの熊野別当に身体を差し出さなくてよいという点では喜ぶべきだ。だが、熊野水軍の協力が得られないという点では悔やまずにはいられない。
そして、何より。
(私、弁慶さんと──)
あの夜のことを思い出してしまい、望美は真っ赤になってしまったであろう顔を膝に埋めた。
別当の夜伽をするつもりでいたため、望美は自分から弁慶に抱いて欲しいと言い出すなどという大胆な行動に出たのだ。それなのに、実はそんな必要がなかったと今更分かっても、やってしまったものはもうどうしようもない。
たとえ逆鱗で時間を遡っても、身体についた矢傷や刀傷が消えないように、なかったことにすることはできないだろう。たとえそれができたとしても、記憶は消えない。望美はずっと、弁慶に抱かれたことを覚えているだろう。
(……別に、後悔してるわけじゃないけど)
弁慶のことが好きだからこそ抱いて欲しいと願ったのだし、彼はとても優しかった。どういう経緯であれ、好きなひとに抱かれて、後悔はない。
でもこれから、どんな顔をして弁慶に会えばいいというのだろう。
抱かれたあとも、弁慶の態度は以前と変わらない。望美もできるかぎり今までどおりに接してきたつもりだ。弁慶の心情は分からないが、少なくとも望美は別当の夜伽をするという前提で、あれはどうしても必要なことだと思っていたからこそ弁慶に不審な態度を取らずにいられたのだ。
実は別当に身体を差し出す必要などなかったと分かった今、同じように弁慶に接することができるかと聞かれるとまったく自信がない。恥ずかしくてまともに顔を合わせられない。
ヒノエもヒノエだ。別当であることを黙っているのはしかたないにしても、夜伽の話が出たときにちゃんと否定してくれればこんなことには──。
(あれ?)
望美は夜伽の話が出たときのことを思い出す。曖昧になっている記憶を、それでも懸命に引っ張り出す。
そういえば、ヒノエはちゃんと否定していた。望美が着飾ることには面白がって乗っていた彼だが、夜伽に関してはそんな心配する必要ないと言ってくれたし、別当にそんなことは絶対させないと約束してくれた。望美がそれを聞かずに、早まって勝手に突っ走っただけだ。そのことに気付いて、望美はますます落ち込んでしまった。
潮風が、真珠の髪飾りを付けた髪を揺らしていく。今、望美が身につけている服も装飾品も、高級品ばかりだ。こんな格好でひとりで浜にいたら、またさっきのような金目当ての賊に狙われてしまうかもしれない。
(とりあえず宿に戻ろう……)
ヒノエが別当であると分かったことで、別当との面会をする必要はなくなったわけだが、急にいなくなってみんなも心配しているだろう。宿に帰って弁慶と顔を合わせるのはつらいが、いつまでもここにいるわけにもいかない。
望美が立ち上がって服についた砂を払っていると、後ろから声をかけられた。
「望美さん」
「べ、弁慶さん!?」
今まさに、どういう顔をして会えばいいのか分からないと思っていた相手が目の前にきていた。
「こちらにいたんですか。姿が見えないので心配して探していたんですが、ヒノエから連絡をもらって──」
ヒノエ自身はすぐに沖へ戻ってしまったから、おそらくは人を遣ってみんなに連絡してくれたのだろう。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。大丈夫です。剣も持っていたし、すぐにヒノエ君が来て助けてくれたし」
答えつつも、望美は近づく弁慶から離れるように一歩後ろに下がってしまった。視線を合わせられず、顔もうつむきがちになってしまう。
弁慶に、なんと言えばいいのだろう。無理を言って抱いてもらったというのに、実は別当はヒノエで、あれは意味のないことでしたなんて、どんな顔をして言えばいいのだろう。抱かれたことも、自分ひとりで突っ走っていたことも、恥ずかしくてたまらない。もうすこし時間があいていればそれなりに心の整理もついていたかもしれないのに、こんな突然現れられて、どんな顔で向き合えばいいのか分からないのだ。
「──後悔、しているのですか?」
「え?」
不意に言われ、一瞬、何について言われたのか分からなかった。けれど、それがすぐに抱かれたことだと理解して、顔が赤くなる。あの朝以降、弁慶にそのことについて触れられたことは今までなかった。
ちらりと視線をあげれば、弁慶は驚くほど真剣な顔をしていた。
「後悔なんて、してないです」
うつむいて真っ赤になりながら、ちいさな声で望美は告げた。
「ただ、どういう顔をすればいいのか分からなくて──」
「そうですか、それならよかった」
ふわりと、黒い法衣が望美を包む。望美は弁慶に抱きしめられていた。思わず身を硬くする。
「あ、あの……」
「君が後悔して、僕を嫌いになったらどうしようかと思いました」
「嫌いになんてなりませんよ。あれは私が無理に頼んだことなんですし、それに……」
望美が顔を上げるとまぶたに弁慶のくちびるが押し当てられる。くちびるは、額や頬にいくつも落とされる。まるで、あの夜のように。
「……っ」
それに気付いて、望美が顔を赤くして身を引こうとすると、くちびるに口づけられた。深く触れ合わせて、舌が口腔に入ってくる。逃げられないように抱きすくめられて、まるであの夜の再現のようだ。意識が飛びそうになるのを、必死でこらえた。
「さすがに、ここでこれ以上はまずいですね」
ちいさく笑いながら、弁慶がくちびるを離す。その言葉に、ここが外であることに気付いて、望美は真っ赤になりながら弁慶を睨みつけた。
「こんなところで、何するんですか!」
「こんなところでなければいいですか?」
「そういうことじゃないです!」
赤い顔のまま睨みつけても、弁慶は動じることもなく望美を抱きすくめたまま笑っているだけだ。余裕綽々のその態度にいささか腹が立つが、同時に、弁慶に対する緊張が解けていることにも気付いた。よく弁慶が口にする女性を翻弄するような言葉をいつものことだと呆れながらかわすように、そんなふうに接することができていることに気付く。
(あ……)
これも、弁慶の手管なのかもしれない。望美があれこれ考えてしまっていることに気付いて、それを取り除いてくれたのだろう。いろんなことをうやむやにされてしまっているような気もするが、弁慶には敵わない。惚れた弱みなのかもしれない。弁慶はこうして甘えさせてくれるのだから、ほんのすこしだけ甘えさせてもらおう。
望美は弁慶の胸に顔をうずめると、その背に腕を回した。
「望美さん?」
「ほんのちょっとだけ、こうしていてもいいですか」
「ええもちろん。いくらでも甘えてください」
子供をあやすように、髪や背中を撫でられる。優しい動きは気持ちがいい。
望美はしばらくのあいだ、弁慶に抱きしめられていた。
熊野から京へ帰る道は、紀ノ川を回っていくことになった。ある程度道が整備されているとはいえ険しいことには変わりないが、熊野にいた頃より暑さもやわらいでだいぶ楽だし、秋の紅葉が美しく目を楽しませてくれる。
その道中にはヒノエもついてきてくれている。熊野水軍が源氏についてくれるということではないが、それでも彼が個人的にでも味方になってくれることは嬉しいことだった。
紀ノ川を進む途中、高野山で休憩を取っているときに、ヒノエから近くにある紀伊湊の話を聞いた。紀伊湊は平家の軍港で、多くの軍船が湊にあり、その勢力を誇っているという。
「平家の水軍が強くて、だから熊野は味方してくれない……堂々めぐりだね」
「ああ。でも、敵の船を減らして味方の船を増やすにはどうしたらいいと思う?」
謎かけのようなヒノエの言葉を、望美は懸命に考えた。彼は単純な計算の問題だと言っていた。船を減らすことはできても、増やすことは難しい。今から船を作ることは時間的に不可能だ。だとしたら、どうやってこちらの船を増やすのか。船を作るのでなければ、どこからか船を持ってこなければいけない。どこから持ってくるというのか。
「敵から船を奪って、こっちのものにするってこと?」
「ご名答! さすが姫君は賢いね!」
望美の答えに満足したように、ヒノエは満開の笑顔を見せた。
(ここで平家の船を奪えれば……)
前の運命で、熊野からの帰り道に紀伊湊へは行かなかった。ここで平家水軍の戦力を減らすことができれば、運命は変えられるのかもしれない。みんなを守ることができるのかもしれない。そう考えると、なんとしても平家の船を奪っておきたかった。
けれど、平家から船を奪ってしまえばいいとは思いついても、その具体的な方法など分からない。重要な拠点のひとつなだけあって、平家の兵は何百人と配置されているだろう。それに対し、こちらはたった十人の一行だ。ヒノエの配下の水軍の者が何人かついてきているようだが、それでも数十人というところだろう。この数の違いを一体どうするのか。ヒノエには何か策があるようだが、それがどんなものなのかまったく分からなかった。
望美はちょうど近くの木陰で休んでいた敦盛のところへ向かった。彼ももとは平家の将で、紀伊湊のことには詳しいだろう。それに、熊野にいるときに、敦盛が幼少の頃、熊野に身を寄せていたという話は聞いていた。ヒノエの幼馴染みである彼なら何か分かるのではないかと思った。
「敦盛さんは、ヒノエ君と幼馴染みなんですよね。ヒノエ君の作戦、どんなものか分かりますか?」
「いや……私には皆目見当もつかない。ヒノエは昔から、思いもかけないことをするから……」
「そうですか……」
申し訳なさそうに答える敦盛に、望美はちいさく肩を落とした。
たしかに、幼馴染みだからといって、考えていることがすべて分かるということもないだろう。実際望美だって、幼馴染みだからといって将臣や譲の考えていることがすべて分かるわけではない。
別に、無理に今ヒノエの作戦を知らなくても、彼を信頼して待っていればいいのかもしれない。彼は言ったことは必ずやり遂げるひとだ。すべて任せていればいいのかもしれない。けれど、この作戦が戦を左右する──ひいては、あの燃える京の運命を変えるかもしれないと思うと、ただぼんやりと待っていることはできなかった。
「私にはヒノエのすることなど考えも及ばないが、弁慶殿なら分かるかもしれない」
肩を落として考え込む望美を元気付けるように、敦盛が声をかけた。その言葉に、望美は顔を上げる。
「あ、そうですね。弁慶さん軍師だし、同じ朱雀だし。何か分かるかもしれませんね」
「ああ、それに弁慶殿はヒノエの叔父上だから、何か知っているかもしれない」
「そうですね、叔父さんだから──えっ、叔父さん!?」
敦盛の言葉にうなずこうとして、望美はそこに混じった単語に驚いて大きな声をあげてしまった。目を丸くして、それを言った敦盛を凝視する。敦盛も、そんなに驚かれるとは思っていなかったのだろう。こちらも目を丸くして驚く望美を見返していた。
「神子は、知らなかったのか?」
「知りませんよ、そんなこと!」
言われてみれば、弁慶とヒノエはどことなく似ているような気がする。いや、似ているというなら、弁慶が那智の滝近くで会っていた兄という男性とヒノエが似ている。赤い髪などまるっきり同じではないか。きっと彼がヒノエの父親なのだろう。弁慶が熊野出身であるとは聞いていたが、まさかヒノエとそんな近い縁戚関係であるとは思わなかった。
(ん?)
何か今、重要なことに気付いてしまった気がする。知らないほうがいい事実に、気付いてしまった気がする。できるならこのまま知らないままにしておきたいような気もするが、重要であるからこそ、確かめずにもいられない。
望美はおそるおそる、敦盛に尋ねた。
「……敦盛さん」
「なんだ、神子」
「敦盛さんは、ヒノエ君が熊野別当だってこと、前から知ってたんですよね」
「ああ……すまない黙っていて……」
「あ、違います。そのことを責めてるわけじゃないです」
そういえば熊野で夜伽の話が出たとき、敦盛も控えめに反論していた。今更ながらに思い出す。あのとき弁慶はどうだっただろう。自分のことに手一杯で、彼の反応を覚えていない。それが非常に悔やまれた。
「弁慶さんがヒノエ君の叔父さんってことは、当然弁慶さんも、ヒノエ君が別当だってことは……」
「ああ、もちろん知っているが」
「────」
眩暈がした。
様子のおかしい望美に敦盛が心配するような声がするが、もうそんなもの、望美の耳に入らなかった。がっくりとうなだれる。
望美が抱いて欲しいと言ったあのとき、それが別当に身体を差し出すことを前提にしていることを、弁慶は知っていたはずだ。つまり彼は、望美がそんなことをする必要などないと、あの時点ではっきりわかっていたのだ。
それなのに弁慶は。
(──詐欺だ……!!!)
心の中で、望美は大きく叫んだ。
To be continued.
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