眠る四葩のその足元に 1


 望美にその兆候が出てきたのは、熊野にいた頃からだった。少なくとも、弁慶が気付いたのは──気付くほどにその兆候が出てきたのは、熊野別当に助力を請うために熊野本宮へ向かっていた頃だ。
 熊野は水軍のイメージが強いが、実際は熊野三山を祭る寺社だ。熊野は神域であり、本宮には穢れたものが入り込めないよう結界が張ってある。それでも、広い熊野全域がそうなっているわけではなく、本宮やいくつかの主だった社を離れれば、怨霊が出ることも多かった。
 熊野別当に逢うために熊野に来ていた源氏一行も、熊野の険しい山道を歩きつつ、そこに出る怨霊と戦いながらの道行きだった。
「相手は土属性! 九郎さんお願いします!」
「まかせろ!」
 行く手を阻むように現れた怨霊に、九郎が鋭く切り込む。それに続いて将臣と敦盛が応戦し、怨霊の力が弱くなったところで、望美が浄化の力を振るう。
「巡れ天の声! 響け地の声! かの者を封ぜよ!」
 声に反応するように、怨霊が光に包まれ、霧が晴れるようにその姿が消えてゆく。消え逝く瞬間の怨霊の顔は穏やかだ。この世の理から外れ、陰の力に縛られていた魂が解放されてゆくのだろう。それが神子の浄化の力なのだと弁慶は思い知らされる。
 怨霊を封じ終えた望美は、大きく肩で息をし、剣を杖の代わりのように地に刺して立っていた。その体は今にも倒れてしまいそうだ。
「望美さん、大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
 弁慶は、望美を気遣うように声をかけた。大丈夫とは答えているものの、彼女の顔には明らかに疲労が浮かんでいた。
 もともと熊野は山道が多く険しい上に、たびたび怨霊が出ては戦闘を余儀なくされているのだ。今の戦闘も、朝から数えて6度目になる。日頃から鍛えている弁慶や九郎ならまだしも、望美のような女性とっては過酷な道程だ。疲れないわけがない。
「あと1つ山を越えれば、小さい宿場に出るよ。日が暮れないうちに、急ごうぜ」
 熊野に詳しく道案内を買って出ているヒノエが先を促す。疲れているとはいえ、こんな山道ではろくに休めない。それなら宿場までいって、宿でゆっくり休むほうがいいだろう。第一、日が暮れて野宿などということになったらそれこそ休めない。
 また一行は、ヒノエを先頭に進み始めるが、明らかに望美の進みが遅くなる。
「望美、大丈夫?」
「先輩?」
「ん……」
 朔や譲の心配そうな声にも、望美は鈍い反応を返す。
「おいおい望美、立ったまま寝るなよ」
 望美の様子は、疲れているというよりも、眠そうという感じだった。既に半分目が閉じかけている。呆れたように将臣は望美の頭を小突くけれど、それにもろくろく反応を返せないでいる。足取りもおぼつかない様子で、今にも倒れそうだ。
 見かねたリズヴァーンが望美を抱き上げると、もう限界だったようで、望美はそのままリズヴァーンの肩にもたれて眠ってしまった。
「何をやっているんだこいつは……」
 なかば呆れ、なかば怒ったように、九郎が望美を見やる。
 だが弁慶はリズヴァーンに抱き上げられて眠っている望美に駆け寄ると、その腕を取って脈を計った。これは明らかに異常なことだった。いくら疲れているとはいえ、こんな急に眠ってしまうなどありえない。ついさっき──怨霊と戦う前までは、疲れている様子はあったが、こんな眠ってしまうようなそぶりはなかった。だとすれば、何か原因があるのだろう。怨霊に術でもかけられたのか、何か体に異常をきたしたのか──。ヒノエや敦盛も、その可能性に気付いているのだろう。心配そうに望美の傍へ来て、弁慶が脈を取るのを見守っている。
 望美の脈は乱れてはいなかった。熱もなく、特に異常はないように見える。ただ眠っているだけのようだ。だが、何らかの術なのだとしたら、外見ではわからないだろう。
 思案に暮れる弁慶に、九郎が焦れたように声をかける。
「おい? そんなことしてないで、さっさと起こせばいいじゃないか」
 実直といえば聞こえはいいが、裏を読めない九郎にとって、望美はただ寝こけているだけに見えるのだろう。
 眉を寄せた弁慶やヒノエが何か言うより早く、ちいさな白龍が九郎の足元にすがった。
「九郎、神子を怒らないで。神子が眠ってしまったのは、五行を浄化しているせい」
「五行のせいとは……どういうことですか?」
 弁慶は脈を取っていた望美の腕を離して白龍に向き直った。
 白龍はすこし考えるように眉根をさげながら、たどたどしく話し出す。神にとって、当たり前に感じられるこの世の理を、正しく人間の言葉に直すのは難しいのだろう。
「龍脈を流れていた五行は止められて、今、正しく流れていない。怨霊は、その五行を吸い取って出来てる。怨霊に取られていた五行は、怨霊を封印することで龍脈に還っていく。でも、五行は怨霊に穢されているから、そのまま龍脈へは戻れない。いったん神子の中を通って浄化されて戻っていく。五行の浄化にはとっても力が必要。だから神子は疲れて起きていられない。眠ってしまう」
「なるほど……」
 こうして望美が眠ってしまったのは、五行を浄化するために体力を使い果たしてしまったのだろう。今までも同じように倒した怨霊の分だけ五行の浄化が行われていたのだろうが、最近は倒す怨霊の数も増え、そのぶん浄化する五行の量も多くなっているのだろう。だから起きていられないほどに疲れて眠ってしまったのだろう。
 とりあえず、望美が眠ってしまったのは悪い術のたぐいではないことに安心する。疲れて眠っているだけなら、ゆっくり休ませればすぐに回復するだろう。
「しかし、そういうことなら、これから気をつけないといけませんね。望美さんの場合、怨霊との戦いでは実際の戦闘で使う体力だけでなく、倒した分だけ五行の浄化に体力が消耗されることになります。そこのところも考慮してあげなければいけません。疲れて動けなくなってしまったところを狙われたりしたら大変ですからね」
「神子姫様も大変だね。戦うだけじゃなく浄化までやらされるってんだから」
 ヒノエが肩をすくめて、呆れたように言い放つ。だが、その目が笑っているわけではないことに、弁慶は気付いていた。実際、望美にかかる負担というのはどれほどなのだろう。怨霊が現れるのを止めることは出来ない。そして怨霊に対峙してしまったら、いくら八葉が表立って戦うとしても、封印できるのが望美だけであるからには、望美も共に前線で戦うしかないのだ。そして怨霊を倒したら、そのぶんだけまた五行の浄化に力を削がれる。
 弁慶は、リズヴァーンに抱き上げられて眠っている望美を見つめた。大柄なリズヴァーンに抱き上げられている姿は、その小ささが強調される。このちいさな娘に、どれほどの負担を強いているのだろう。望美自身に龍神を復活させ元の世界に帰るという目的があるにせよ、源氏の神子として、白龍の神子として、戦に巻き込んでしまっている。
 それでもきっと、目を覚ましたら、望美は大丈夫だと、また頑張ると笑うのだろう。
「とりあえず、宿場まで行きましょう。望美さんは……」
「神子はこのまま私が運ぼう」
 望美は相変わらずリズヴァーンに抱えられたまま眠っている。眠りの理由も分かっている今、起こすことも忍びない。人ひとりを運ぶのは大変なことだが、リズヴァーンなら大丈夫だろう。
「姫君を運ぶのは俺でもいいんだけどね……ま、今回はあんたに役目を譲るかな」
 ヒノエが残念そうに言って、また先頭を切って歩き出した。一行もそれに足早に続いた。
 それから先、怨霊を倒したあと、その五行の浄化によって、望美が疲れて眠ってしまうことはたびたびあった。けれどそれは、一晩ぐっすり眠れば回復したし、無理をさせすぎないよう八葉が気遣っていたので、そう大きな問題にもならなかった。
 だから弁慶は忘れてしまっていたのだ。
 白龍の神子である望美だけが持つ、その浄化の意味に。


 To be continued.

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