眠る四葩のその足元に 6


 神泉苑は、いつもと変わらず、静かに澄んだ水をたたえそこにあった。
 五条からここまで、わずかではない距離を走ってきた弁慶は、荒い息のまままわりを見渡した。一見して変わったところは見当たらない。中央にある大きな池と、その奥に配置された社。それを囲うように緑の木々が茂っている。記憶にある神泉苑の姿となんら変わらない。
 人影は、弁慶以外に見当たらない。桜や紅葉などの時期はそれを愛でる人々が多く訪れるが、そうでない時期はあまり人がいないのだ。
 ここには望美の想い出が深くある。かつて彼女が花断ちを習得したのも、すばらしい舞を披露したのもここだった。そして、彼女がこの地からもとの世界に帰って行ったのだと思うと苦しくて、ずっと訪れることがなかった。
(望美さん)
 ここのどこかに望美がいる。あるいは、望美につながる何かがある。弁慶は必死になってそれを探した。
 普通に人目につくところではないだろう。そうであるなら、もっと早くに誰かがその存在に気付いていたはずだ。おそらくは、誰も気付かないようなところに。そこまで考えて、ふと気付く。それなら、何故ヒノエは気づいたのだろう。知ることが出来たのだろう。ヒノエだからこそ、気付いたのだろうか。
(彼が──八葉だから?)
 弁慶は、自分の右手の甲を見つめた。そこにはいまだ宝玉が埋まっている。同じように、ヒノエの額や敦盛の左手にも宝玉はある。八葉の証であり、一般の者には見えないという宝玉。
 過去に存在した八葉の記録を見ても、宝玉が八葉の証とは記されてあっても、京を救ったその後はどうであったかなどということは特に書かれていなかった。彼らに現れた宝玉がそのまま存在したのかそれとも消えてしまったのか、それは分からない。だから、宝玉が消えなかったことに関しても、それはそういうものなのだと思って特に気にしていなかった。だが、そうではないのかもしれない。『白龍の神子を守る』のが八葉の勤め。それがまだあるということは、神子を守るその役目はまだ終わっていないということなのかもしれない。
 弁慶は右手をかざし、意識を集中した。
 八葉として怨霊と戦っていたとき、五行の力を使い様々な術を放つことができた。だが、それは神子である望美がいてこそ発揮できるもので、弁慶ひとりがいてもなんの術も使えない。だが、まだこの手に八葉の証の宝玉があるなら、多少は何か違うのかもしれない。何か分かるかもしれない。
(──望美さん)
 気配を探るように、気を張り巡らせる。
 普段は感じなくとも、こうして意識を集中させると、この地が神気に満ちていることが感じられる。やはりここは龍神の加護が強いのだろう。弁慶はその気を辿るように探っていった。
(────)
 広い池の中央、そこに、何かを感じる。
 何を感じるのかと言われても説明など出来ない。ただそう感じるだけだ。勘よりも危い感覚でしかない。だがそれを弁慶は信じることにした。
 池の中へと足を踏み入れる。着物が濡れることになどかまっていられなかった。池は広く、所々深いところもあるが、このあたりは浅く、一番深いところでも腰くらいの深さしかない。
 池をしばらく進んだところで、弁慶は歩みを止めた。正確には止められたのだ。池のほとりから見ているだけでは何も分からなかったが、そこには見えない壁のようなものがあり、そこから先に進めない。結界だろうか。リズヴァーンの庵の周辺に張られていたものに似ている。
 形を確かめるように手を触れると、わずかに宝玉が熱を持つような感じがした。それに反応するように、今まで硬かった見えない壁が、ぐにゃりと歪んだ感触がした。葛を煮て固めた菓子のような、緩い弾力のある感触に変わる。力を込めて進めば通り抜けられそうだった。ためしに腕に力を込めれば、結界の中に腕が沈む。
(これは)
 宝玉に反応したのだろうか。八葉である弁慶なら中へ入ることができるということだろうか。分からない。だが、こんなものに怯んでいては望美を見つけられない。弁慶は意を決すると、結界へ向かって身を進めた。やはり葛菓子を切るような感触で、弁慶の体は結界を通り抜けた。
 その結界が池の一部分だけを隔離するためにあるのか、それとも結界のむこうは異空間になっているのか、弁慶には分からない。結界を越えてみれば、足元には変わらず水があるが、まわりの景色は変わっていた。結界のせいで外の景色が見えなくなっているのか、それともそこには何もないのか、そこだけ切り取られたような不思議な空間だった。
 その空間の中央に、柱のようにそびえる大きな水晶があった。一瞬状況が分からずに、弁慶は目を凝らした。

「…………!!」

 息を呑む。
 そこに、望美がいた。水晶の中に閉じ込められ、その中に横たわっている。
「望美さん!」
 弁慶は水晶に駆け寄った。足元の水が大きく跳ねる。
「何故……! どうしてこんな!!」
 透明度の高い水晶は、何をさえぎることもなく、その中の様子をはっきりと伝えてくる。そこにいるのは確かに望美だった。その瞳は閉じられ、一見すると眠っているようだ。弁慶は二度三度と水晶を殴りつける。けれど水晶は固く、拳で殴ってもびくともしない。中にいる望美も、起きることはない。
「望美さん……」
 彼女は龍神の力によってもとの世界に帰ったのだとばかり思っていた。彼女が望んだとおりに故郷へ帰り、家族や友人としあわせに暮らしているのだと思っていた。それなのに、何故こんなところで、こんなことになっているのか。一体何があったというのか。
「望美さん、どうして……!!」
「それが、神子の願い、だから……」
 不意に、聞き覚えのある声がした。おっとりとした口調の、高い子供の声。
 弁慶が振り向くと、そこには以前共に旅をした幼い子供の姿の白龍が立っていた。


 To be continued.

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