Ave Maria <アヴェ・マリア> -2-
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それから数度ほど、彼女と身体を重ねた。
すべて、彼女から求めてきて、彼がそれに応じてのことだった。
処女であるが故、痛みが勝ってほとんど快楽を得ることができなかった身体も、回を重ねるごとに、艶やかな八重の花びらがほころんでゆくように開かれていった。
心地よいけだるさの残る身体をベッドに横たえ、その上に、彼女のちいさな身体を乗せるようにして抱きしめる。自分の胸元や首筋にこぼれて流れる金の髪は、なめらかで心地のよい感触だった。
「……大丈夫か?」
「平気」
互いの体格差を考えれば、無理をさせている自覚はあった。ただでさえ彼女は平均よりも小さく華奢な身体をしている。大人の男の欲望をすべて受け止めるには、まだその発育は十分とはいえなかった。
それでも、そんな未成熟な身体に溺れかけている自覚もあった。
女にはなりきれていない、この身体のどこがそんなにいいのか、自分でもよく分からずにいた。
それでも惹かれていたことだけは確かだった。
このままこんな穏やかな夜が続けばいいと、思っていた。
「大佐は、あったかいな」
彼の胸元に頬を乗せたまま、彼女は小さくつぶやいた。
子猫が擦り寄るように、ちいさく身じろぐ身体を、ほんの少し力を込めて抱きしめた。
「──でもあいつは、誰かのぬくもりを感じることも、自分のぬくもりを感じることも、できないんだ」
それが誰のことを言っているのかなんて、彼にだってわかりきっていた。
そのことで彼女がどれほど苦しんでいるか、どれほど自分を責めているか。
分かっている、つもりだった。
「……鋼の」
「ごめん、こんなこと、言うつもりじゃなかったのに」
重くなってしまった空気を消すかのように、彼女はすこし顔を上げて微笑んでみせる。
けれどその微笑みも、どこか憂いを含んでいて、見ているこちらの胸が痛みを感じてしまいそうな笑みだった。
だから彼は、彼女をそっと自分の胸元に押し付けるようにしながら優しく囁いた。
「もうおやすみ」
「……うん」
彼女はそれに逆らわず、そっと体の力を抜いて、ゆっくりと眠りの淵に誘われているようだった。
「ごめん、大佐」
眠りに落ちる少し前、ちいさく聞こえた声に、彼はそっと頭を撫でてやることで応えた。
彼女が何に対して謝っているのか、正しく理解もできていなかったのに。
兆候は、いくらでも出ていたのだ。
はじめに彼女が抱いて欲しいと言い出したこと自体もそうであったし、身体を重ねる間にも、何度もそれはあったのだ。
言い換えれば、彼には何度も猶予が与えられていたということだった。
その間に気付くべきだったのだ。
彼女が何を考えていたのか。
彼女が何を望んでいたのか。
そして、彼女が何をしようとしていたのか──。
彼女は声にならない悲鳴をあげて、彼に助けを求めていたのだ。
必死に、彼を呼んでいたのだ。何度も何度も。
だが結局、彼はそれに気付くことはできずに、歯車は動き出してしまった。
彼がようやくそれに気付いたのは、すべてが終わった、赤い部屋を見たときだった。
──赤い、部屋。
息も止まりそうなほどの衝撃というのは、今までの彼の人生の中で二度あった。
一度目は、リゼンブールへ国家錬金術師の勧誘に向かって、そこで血に染まった錬成陣を見たとき。
二度目は、親友であった男が何者かに殺されたとき。
そして三度目が、今彼の目の前にあった。
呆然と、立ちすくむ。
赤い、赤い部屋。立ち込める、むせ返るような血の匂い。
彼女と彼女の弟が、仮の住処として生活していた家の一室。もとは淡い白灰色であったはずの床は、赤く変わっていた。
部屋の中央の床に描かれた、大きな錬成陣。その錬成陣が、おびただしい血に染まって。
まるであのときの──リゼンブールの再現のようだった。
そのときと違うのは、錬成陣の中に、彼女と、そして彼女の弟であった鎧が倒れていることだった。
「……鋼の!」
血溜まりに倒れている少女の下へ駆け寄る。
靴にもズボンの裾にもコートにも赤い飛沫が飛び散ったが、そんなことには構わなかった。 倒れている身体を抱き起こしても、彼女は目を閉ざしたままぴくりとも反応しなかった。
口元に手をかざして、かろうじてかすかに呼吸をしていることは分かった。けれど青ざめたままの頬は、このままでは危ないことを如実に語っていた。
彼女は一体何をしたのか。
何をしようとしていたのか。
そんなことは、本当は、分かっていた。
この部屋を見れば分かりきったことだった。
あのときと同じような錬成陣、同じような状況。
倒れる彼女と、転がっている鎧。
すべてがそこで起こったことを的確に語っていた。
「エドワード……!」
声を限りに、叫ぶ。
けれど、血に染まる少女は、目を開かなかった。
To be continued.
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