Kyrie eleison <キリエ・エレイソン> -6-
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アルフォンスが少女の前にやっと姿を現わしたのは、入院してからすでに5日たった頃のことだった。
毎日のように見舞いに来る男から様子は聞いていたし、男が何度も少女のもとへ行くよう説得してくれていたようだが、自分のしたことをひどく悔やんでずっと会いに来られなかったのだろう。
「ね、……姉さん……」
「アル」
その巨体を隠せるわけもないのに、その身体を扉の影に隠すようにして、こちらをうかがうように顔を出す。
5日ぶりにやっと見ることが出来たその姿に、少女は泣きそうになる。けれどその代わりに、それを隠すように大声で叫んでみせた。
「遅いぞおまえ! 最愛の姉が入院したってのに、何で今ごろ来てるんだよ! もっと早く来やがれ! 分かったか!!」
「ね、姉さん、ここ一応病院なんだから、そんな大声だしちゃ駄目だよ」
慌てたように、アルフォンスが病室に入ってくる。叫んだ拍子に傷が痛んだけれど、今はそんなことも気にならなかった。まだあまり自由にならない身体を、ベッドの上に起こす。アルフォンスはそれを支えるように手を伸ばして、けれどすぐにその手は触れるより先に引っ込められてしまった。
病室とはいっても、もぐりの病院であるここには、今は入院患者は少女しかいない。女医と看護婦も、ここから離れた診療室の方にいるため、ひどく静かだ。
「ごめんね、姉さん……」
アルフォンスの言葉に、少女はゆるく首を振る。
「アル、俺は」
アルフォンスのほうへ手を伸ばすと、彼はびくりと身体を震わせて、その手を避けるように身体を引いた。
少女は目を見開く。そんなふうに避けられるとは思っていなかったのだ。
あのときと同じだった。昔、アルフォンスが小鳥を傷付けてしまったときと。触れたらまた傷付けてしまうのではないかと、怯えているのだ。そうして、それなら二度と触れなければ傷付けることもないと、思ってしまっているのだ。
少女はくちびるを噛み締めた。弟にそんなふうに思わせてしまったことが哀しかった。そして、これからずっと弟とそんな関係でいるなんて嫌だった。決して触れ合おうとせず、こちらから手を伸ばしても怯えたように避けられるなんて。
ほんの少しのあいだ少女は考えたあと、少女は自分の入院着に手をかけた。
「アル」
入院着は上下に分かれたタイプで、上着は脱ぎ着がしやすいようにと前を紐でとめておく簡単な造りだ。その紐を外して、前をはだけさせた。わずかなふくらみを持った乳房を晒す。
「姉さんっ?!」
姉の突然の行動に慌てる隙を突いて、その腕を掴んだ。振り払われることがないのは、振り払うその動作がまた傷付けることになるのではないかと恐れて動くことが出来ないのだろう。
「俺のこと、汚いと思うか? だから触れたくないか?」
「そんなことない、姉さんが汚いなんて、そんなこと絶対無いよ!」
「そうか。ありがとう」
手を引き寄せて、胸に触れさせた。そう大きくはない乳房は、鎧の手にすっぽり包まれてしまう。血の通っていない、冷たい指だ。熱かったあの男の指とは違う。けれど、彼女の大事な大事な、弟の指だった。
昔、アルフォンスが小鳥を傷付けて、決して自分から動物に近づこうとしなかったとき、幼馴染と一緒に、もう一度彼が動物に触れられるよう練習した。嫌がる弟をなだめたり言い含めたりしながら、なかば無理矢理、幼馴染の愛犬に触れさせた。よくできた黒犬は、たとえ誤って少し強く触れられてしまっても、吠えたり逃げたりすることはなく、彼がちょうどいい力加減を覚えるまで根気よくその練習に付き合ってくれた。そうしてまた、アルフォンスは動物と触れ合えるようになった。それがなかったら、彼はもう動物と触れ合うことをやめてしまっていただろう。
今も同じだ。今も、無理にでも触れさせなければきっと彼は一生近づいてこないだろう。
「大丈夫だ、アル」
おそるおそる、乳房を包む手のひらに力が込められる。加減を確かめるように、そっと。
「ん……」
軽い痛みを感じてちいさく眉を寄せれば、慌てたように手を離そうとする。それを上から押さえて、離れないようにした。
また、ゆっくりと力が込められて、触れられる。愛撫というにはたどたどしい動きで、ゆるく揉まれた。
「あ……アル……」
かすかに甘い声が漏れる。
何度も触れるうちに力加減が分かってきたのか、ちょうどいい加減で胸に刺激が加えられる。やがて、乳房への愛撫に慣れたころ、そっと指が桃色の突起に触れる。すでに敏感になっている乳首は、少しでも力を込めればすぐに痛みが走る。そのたびに跳ねる肩と、離れようとする手。それを押さえて、また触れて。
ひどく長い時間をかけて、ずっと触れ合っていた。
あの男が触れてきたときのように、身体が熱くなることはない。男は経験に裏打ちされた巧みさでこの身体を翻弄し、触れられるたびに身体に電流が走り、下肢がはしたなく濡れた。
アルフォンスが触れることに快感がないわけではない。だが、濡れるわけではない。それは技術的なことや、手が生身でないということだけではないのだろう。
性的な愛撫というよりは、これは母親が赤ん坊に乳やっているようなものなのかもしれない。
アルフォンスにとっても、きっとこれは赤ん坊が母親の乳を求めるのと同じようなもので。
(ああ、そうか)
不意に理解する。
少女にとってアルフォンスは、弟であると同時に子供なのだ。
そしてアルフォンスにとって少女は、姉であると同時に母親なのだ。
正しい肉体を持たず、魂だけそこにある。胎児と同じだ。だから少女は、全身全霊をかけて、この魂を守らなくてはいけない。
いつか、この世界に『生み出す』その日まで。
「アル。絶対に、おまえの身体を取り戻してやるからな」
「うん姉さん。姉さん」
鎧の頭を、胸に抱きこむように抱きしめた。まだ少し迷うように、それでもゆるい力で抱きしめ返される。
それを幸福に思った。
To be continued.
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