In paradisum <イン・パラディズム> -1-
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少女は男の腕の中で、抱き合ったあとの心地よいけだるさに身を任せていた。
普段は上司と部下、国軍大佐とその子飼いの国家錬金術師という関係だが、職務を離れてふたりきりになれば、恋人同士といってもいい関係だった。旅を続けているため常に傍にいることは出来ないが、報告書の提出などで男のもとを訪れたときにはこうして男の家で抱き合うのがいつものことになっていた。
黒髪の男は抱き枕のごとくに体に腕を回して抱きめて、そのまま少女の髪を撫でたり額に軽いくちづけを落としてきたりする。少し気恥ずかしい気もするが、そんな時間が嫌いではなかった。
普段は男のふりをして旅をしている少女だが、ここでは男のふりをする必要などない。強がってみせることも必要ない。甘えるとか、頼るとかではなく、ただ、自分が自分でいられる場所だった。
いつも、愛している愛していると繰り返し囁きながら男は抱いてくる。普段の余裕げな顔や皮肉げな顔ではなく、真摯な顔で見つめ、鋼の冷たい手足にも、同じようにくちづけを落とし、触れてくる。そうされると、鋼に感覚などないはずなのに、触れられた場所が熱を持ち、震える快感を伝えてくるような錯覚に陥る。
それはいつも少女をしあわせで満たしてくれる。その身体のように、どこか欠けたいびつな心を満たしてくれる。
少女が半分眠りの淵に意識を落としながらまどろんでいると、男が耳元に囁いた。
「もうすぐ君の誕生日だな」
「ああ……忘れてた」
たとえば母が死んだ日や家を焼いた日は覚えていても、自分の誕生日などというものはすっかり忘れていた。
「その日に君が近くにいてくれればいいのだが、そういうわけにもいかないのだろうね」
「……」
これが弟の誕生日だったなら、彼のために贈り物を選んだり、幼馴染と共にささやかなパーティを開くため故郷へ帰るなど気も使うのだが、自分の誕生日に特別何かをしようという気持ちは少女にはなかった。本当なら、恋人である男と過ごすのがいいのだろうが、そうすることは出来なかった。自分の誕生日だからという理由で旅を中断するよりも、早く次の目的地へ向かって賢者の石を探したかった。
男のことを愛してはいるが、優先順位をつけるなら、弟の体を取り戻すことが一番なのだ。たとえそのことで男に責められたり飽きられたりしたとしても、どうしても譲れないのだ。
「そんな顔をしないでくれ。責めているわけじゃないんだ」
一体どんな顔をしてしまっていたのか少女自身には分からなかったが、男が少し困ったような顔をしてなだめるように頬を撫でた。きっと、よほどひどい顔をしていたのだろう。
「今度の誕生日で16だろう。それを確認したかっただけだ」
「悪かったな、16になっても男で通るようなちんくしゃで」
「そんなことは言ってないだろう。私が言いたかったのは、16といえば、もう結婚できる歳だということだよ」
何か含みを持たせるような言い方に、少女は男の顔を見上げた。
男の黒い瞳が、少女をまっすぐに見つめていた。
「君達の旅が終わったら──私と結婚してくれないか?」
「大佐?」
少女は驚いて、金色の目を見開く。正直言って、この男がそんなことを言い出すとは思わなかった。
出世欲の強い男は、きっとどこかの将軍の娘でも娶るのではないかと思っていたのだ。そうすることが男にとっていちばんいいと思っていたし、少女の置かれている状況からみても、結婚など無理だろうと、考えていなかった。好きだと言ってくる男の気持ちを信じないわけではなく、それとは別の次元で、そのうち終わってしまう関係なのだと心のどこかで思っていた。
「……いつもとの体に戻れるか分からないよ。10年後かもしれないし、20年後かもしれない」
「それなら、それまで待つよ」
「そのとき、あんたいくつだよ」
「オジサンの嫁になるのがいやなら、そうなる前に早めに頼むよ」
冗談めかした口調だけれど、男が本気なのだと分かった。たとえそれがいつか反故になってしまうとしても、今そう言ってくれることが嬉しかった。何故だか涙があふれて、泣き顔を見せたくなくて少女は男の胸に顔をうずめた。男は優しく抱きしめて、髪や背を撫でてくれる。
(いつか、すべてが終わったら、そのときは)
そんな日が本当に来るのかは分からない。でも、そう想うだけでしあわせだった。
しあわせで、しあわせで、胸がいっぱいになった。
そしてそれと同じ夜。
彼女の大切な弟アルフォンス・エルリックは行方不明になった。
To be continued.
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