In paradisum <イン・パラディズム> -4-
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少女は花を持って、弟が発見された路地裏へと来た。そこは『発見された』場所で、実際に命を落としたのは別の場所かもしれない。それでもそこに花を捧げた。
いつも一緒にいた弟を思い出す。幼いころも、鎧姿になってしまってからも、ずっと一緒だった。
錬金術でよみがえらせられたらと今でも思うが、それは決してしてはいけないことだ。母のような目に、弟まであわせてはいけない。願わくば、彼が先に逝ってしまった母のもとで、笑っていてくれればいいと想う。
(どうか、安らかに)
今、少女が願うことは、それだけだ。
弟の死もやっと受け入れられるようになってきた。恋人である男は、弟が死んだのは、きっと事故だったのだと言った。そうなのかもしれない。あれは、事故死だったのかもしれない。あんなに猫はダメだと何度も言ったのに、猫好きの彼は、それだけは絶対に言うことを聞かなかった。この路地にも何匹か野良猫の姿が見える。夜中、猫のいそうな路地裏に行って猫と遊んでいるときに、何かのはずみで血印に傷をつけてしまったのかもしれない。
「バカだなあ、あいつ」
哀しいのには変わりはないが、そう思うほうが気が楽だった。弟が苦しんで苦しんで自殺したなんて思うよりも、ずっと。哀しみは消えないけれど、やっと気持ちの整理はつきそうだった。
それに、ただ哀しんでばかりもいられない。やらなくてはいけないことはたくさんある。まずは弟が死んだことを、故郷の幼馴染とその祖母や南部に住む師匠に伝えないといけない。身内だけのひっそりとしたものになるだろうが、葬式を行って墓も建ててやらないといけない。 墓は故郷の母の隣がいいだろう。
そのあとのことはまだ何も考えられないけれど、今は目の前のことを片付けてから、あとでゆっくり考えればいい。
弟との想い出を振り返りながら、あふれそうになる涙をぬぐおうとした、そのとき。
「やあ、おチビさん」
「!」
その声に、少女の背中が総毛立つ。
一見陽気に聞こえるものの、その奥にどす黒いものが潜んでいるような、その声。涙など一瞬で引っ込んだ。身構えながら、ゆっくりと振り向く。
そこにいたのは長い黒髪の、人を見下すような嫌な笑みをたたえた男。
何故そいつがここにいるのか。
「──ホムンクルス」
そこに立つ男を、睨みつけた。
「あんたの弟、死んだんだってね。カワイソウに」
かわいそうなどと言いつつも、欠片も死を悼んでいないと分かる口調で、笑っている。そんな人造人間の姿に、少女の頭に嫌な可能性が浮かぶ。
(もしかして、こいつらが)
奴らの目的がなんなのかはっきりとは分からないものの、敵であることははっきりしている。そして、逆にいえば目的が分からないからこそ、何をするか分からない。
もしかしたら、こいつが弟を殺したのかもしれないのだ!
少女は瞬時に機械鎧をナイフに錬成させると身構えた。
「おい、答えろ。おまえらが弟を殺したのか!?」
「さあ〜」
人造人間の男は、わざと少女の神経を逆なでするような声音と表情で答えてくる。
「もしそうだったら、どうするわけ?」
「殺す!」
人造人間に刃を向けて、強く地面を蹴った。切りつけようと飛び掛った少女を難なくかわして、人造人間は彼女の腕を掴んだ。その細い体からは考えられない、人間にはありえないような強い力で、少女は動きを封じられてしまう。
「いいね、憎しみと殺意に満ちた目。そういうの大好きだよ。でもそれより、その顔が絶望で歪むほうがもっと好き」
人造人間は笑っている。今の状況が、楽しくて仕方ないというように。猫が、捕えたねずみをすぐには殺さず、いたぶって弱らせてからとどめを刺すように、少女を嬲ることを楽しんでいるようだった。
「あんたの弟の死因を教えてやるよ」
「!!」
こいつはそれを知っているのかと、少女は目を見開く。
耳元に顔を寄せて、人造人間は面白そうに囁いた。
「あんたのせいだよ」
「なっ……!」
「鎧に魂を定着させておくには、そのための『力』が必要だ。本来と違う器では魂は不安定で、すぐに離れてしまうからな。つなぎとめておくための力が必要なんだよ。あんたの弟をつなぎとめてたのは、なんだと思う?」
言葉ひとつひとつに対する少女の反応を見ながら、人造人間は楽しそうに口元を歪ませる。
実際、楽しくて仕方がないのだろう。
「あんたの弟の魂をつなぎとめていたのは、あんたの『精神』だよ」
「────っ!」
反射的に身を引こうとする少女の腕をきつく掴んで、人造人間は少女を捕えたまま言葉を続ける。さも面白そうに。
「あんたの弟は、錬成したときに、あんたの精神の一部によって魂を鎧に定着させていた。あんたが弟をこの世界に留めておきたいと思う気持ちが、魂を鎧につなぎとめる『力』になっていた。でも、あんたは思っただろう。”あいつさえいなければ”って。”弟がいなければ、これ以上苦しい旅をする必要もない。自由に、しあわせになれる。あいつがいなければいいのに”って。そう思ったから、それは現実となった。魂を鎧に留めておく力が消えて、魂は剥がれていったんだよ」
「違う! 俺は……っ!」
言われた言葉に、体が震えた。
否定しようとした言葉は、途切れてしまう。思い出したからだ。弟がいなくなってしまったあの夜、自分は恋人の腕の中で何を想っただろうか。
(いつか、すべてが終わったら、そのときは)
あのときだろうか。あのとき、しあわせで、他に何も考えられなくなった。
だから。だから弟はいなくなってしまったのだろうか。
「ほら、心当たりあるんだろう? 弟が大事だなんて言ってても、本当は弟が邪魔だったんだろう? まあそうだよな、あんな鉄の塊、邪魔なだけだもんな」
「違う! 違う! 邪魔だと思ったことなんてない! 俺があいつをあんな身体にしてしまったから、俺は」
「嘘つくなよ、認めちまえよ。弟がいなくなって清々しただろ? 本当はあんな奴いないほうがいいってずっと思ってたんだろ? 表面的には美しい姉弟愛を振りかざしてても、心の奥底じゃ、あんな奴いらないって思ってたんだろ?」
「ちがうちがうちがうちがう!!」
「違わないよ。実際、おまえの弟は消えただろう? それが、おまえが弟なんかいらないと思った証拠だよ」
人造人間の言葉は、少女の心を切り裂いていく。
笑いながら、解剖中の蛙の心臓に最後に針を刺すように、人造人間は少女の耳元に言葉を囁く。
「 ア ン タ ガ コ ロ シ タ ン ダ ヨ 」
「────うわあああああああぁぁぁぁ!!!」
少女は狂った獣のように叫んだ。
その瞬間、叫びをかき消すような爆音と熱風が襲ってきて、少女を掴んでいた人造人間を弾き飛ばした。
「うわっ」
焔は正確に、少女を避けて人造人間だけを狙っていた。自然爆発ではありえない。そんなことができるのは、一人だけだ。
「鋼の!!」
「ちっ、狗が邪魔しやがって」
こちらへ駆けてくる軍服の男の姿を認めて、人造人間は悔しそうに舌打ちした。
けれど、呆然としている少女の姿に一応は満足したのか、反撃することなく身を翻した。
「今日は身を引いてやるよ、またね、おチビさん」
それだけ言い置いて、人間にはありえない跳躍力で、建物のむこうへ消えていく。
その姿を追うこともなく、取り残された少女は力なく路地に座り込んでいた。力なくうなだれて、その肩がかすかに震えている。
それを気遣うように男が駆け寄ってくる。
「鋼の! 大丈夫か!?」
少女はぼんやりと、軍服姿の男を見上げた。さっきの人造人間の言葉が頭の中を回っている。
「大佐、大佐。俺、俺がアルを」
「鋼の、落ち着きなさい」
「俺が殺した。俺が、いらないって思ったから、だから」
「違う、違うんだよ。そんなことはありえない。なぜならアレは────」
けれど、その言葉の続きを聞くより前に、不意に少女の目の前が闇に包まれた。
精神が耐え切れなくなり、ショートするように意識が焼き切れたのだ。
「おれ、が……、……」
力を失って、少女は男の腕の中に倒れた。
To be continued.
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